昨日28日、帰国早々、櫻井会長より、米国で行われた今回のワークショップの摂理的意義と背景に関する説明の場がもたれました。下記は一部要約になります。(詳細は動画をご視聴ください)
既に21日間の精誠訓読会、並びに7日間のファミリーワークショップの案内を出していますが、今一度、その摂理的意義をお話したいと思います。
<ワークショップの目的>
基元節はワンファミリーアンダーガッドに向かう中間目標であり、お父様が果たしたかった悲願でした。顯進様はこの基元節を捧げることに全神経を集中しておられます。
そして、基元節を捧げるには、真の父母と真の家庭の定着と共に、「神主権の国を立てる」という条件が必要でした。米国にて21日間、各国のリーダー家庭を集めて行われた今回のワークショップの目的も、正にここにあったのです。
<ワークショップのテーマ>
今回のテーマは「どのように考え、どのように捉えるかが現実を決定する」というものでした。考え方の変化が個人の人生や家庭生活を変え、さらには歴史的次元で大きな影響を与えるのです。
無神論という考え方によって国が建てられた時、それがどれほどの犠牲を生み出したでしょうか? であれば、私たちの目指す神主権の国とは、一体、どのような考え方に基づいた国を言うのでしょうか。それは「原理」に基づく国です。
統一家の分裂は、真の父母の神格化や独生女論など、原理ではないもの、間違った信仰によって生じました。こうしたことが原理を読み解くことではっきり分かるのです。原理的に考え、原理的観点から世界を見つめ直すことが大切なのです。
<原理が書かれた目的と背景>
原理とは教理ではなく、神が創造の当初に立てられた創造原理(普遍的原理)をいいます。伝統的宗教が皆、共通の普遍的原理をもつのはそれが神から来るものだからです。私たちはその神の原理に沿って生きる時に本当の幸せを得ることができ、平和世界が築かれるのです。
原理はまた、宗教と科学を、統合された一つの課題として扱う、新しい真理として登場しました。科学的説明をもって、キリスト教信仰の不足を補い、キリスト教が神の摂理の中心的役割を果たせるよう、またキリスト教の誤った信仰を正すために書かれたのが原理でした。新たな宗教を作るために書かれた教理などではなかったのです。
<原理を学ぶ必要性と価値>
私たちが原理を学ぶ理由はまず、①祝福家庭の信仰を正し、霊的生命を生かすためです。どう考えるかが現実を作ります。原理に基づかない信仰がOBDの現実を作っています。私たちは自分たちの「意見」を伝えるのではなく、「原理にどう書かれているか」を伝えるのです。
原理を明らかにすることで、②私たちの信仰はOBDやサンクチュアリ等と差別化されるでしょう。私たちは普遍的原理をもって、人々の霊的意識を高めようとしているのです。
原理の価値は、神学や哲学、科学や歴史など、各分野を勉強すればするほど分かるでしょう。顯進様の表現を借りるなら、私たちはあたかも、豊かな地下資源を活用できずに貧しさに喘いでいるようなものです。原理という宝の山の上にいながら、その価値に気付けていないのです。
顯進様曰く、「完成」とは「神へのアライメント」を意味します。即ち、神の原理の通りに生き、神の摂理の方向性を知って生きること。そのために原理を学ぶのです。
<自然の中での学び>
私たちはなぜ自然の中でファミリーワークショップを行うのでしょうか?
それはまず、①神との父子関係を築くためです。宗教の創始者たちは皆、人工的な環境ではなく、自然の中で神と出会いました。私たちは家庭で共に自然の中に、神様との出会いを求めて行くのです。
また、自然に入るのは、②霊的成長に焦点を合わせるためです。スマホには多くの情報が集まりますが、情報が溢れすぎて大切なものを見失っています。言わば、北を指すべきコンパスの周りにいくつもの磁石があり、振り回されてしまっているような状態です。自然に入り、世俗的環境から離れ、家族が共に、人生における最も重要なこと(霊的成長・三大祝福)に立ち返るのです。
自然はまた、③本当の自分と向き合う場になります。自然は人の肩書きに関係なく、私たちのありのままの姿と対峙します。そこでは、私の未熟さや家族の問題が浮き彫りになるでしょう。葛藤や喧嘩が生じるのが問題なのではありません。衝突した時に、自分がどう変われるか、です。自然は、自分の姿を映し出す鏡、であり、そこで本当の自分と向き合うのです。
また、それは、④精誠条件を捧げることを意味します。暑ければエアコンを、寒ければ暖房を付け、お腹がすいたら食べる―という楽な状態では精誠にはなりません。不便なことすべてを天のために、公的な思いをもって捧げるのです。それが自然の中でのワークショップの意味です。