お祈りハラスメントからの脱却

青年バージョン 第12号

皆さんは祈りについて深く考えてみたことはありますか?

今回は今年の2月に、福岡県在住のKさんが「人生カタリバ」で話された、『お祈りハラスメントからの脱却』の内容をご紹介します。タイトルからして…なんだかちょっと興味を誘いますよね(*^_^*)

さてさて、一体どんな内容なのでしょうか?

2008年み言葉との出会い、そしてハラスメントに…

私は福岡県在住のKです。2008年に専門学校で勉強するために上京し、その年の夏にみ言葉と出会いました。そして翌年み言葉を伝えてくれた人からハラスメントにあったのです。

「Kくんはお祈り好き?」

この言葉は私にとって衝撃で、普段はお祈りをほぼほぼやらないし、祈祷会は寝てるので、おそらくその状態を見ていて心配で「大丈夫かな?」と聞いてきたのだと思います。

しかし、私にとってはハラスメントの嫌がらせに他なりませんでした。

たしかに事実はその通りなのですが、(-_-;  私の中では色々とイライラがあったので、それが「むかつくー(-_-# 」となってしまったわけです。

でも、落ち着いて考えてみたら、「本当はお祈りってちょっとしたいのかもしれないな、でも…お祈りって何を言っていいのかよく分からないな~」というのが、その時の正直な気持ちでした。

=運動できない人が、スポーツを好きになれないと同じ理論でお祈りがキライ=

悶々としつつも考えた末に、これはやはり時間をかけて克服すべきことだなと思ったのです。

(この時は合理的に考え、祈りについて少しでも理解しておく事は、将来的に自分にとってメリットはあっても、損はしない、そんな結論でもありました。だから、お祈りがキライじゃない自分を見てみたくなりました。)

では、どうやって克服するのか?というところが、分からないけど…。

克服すべし!!(気合い)

み言葉に出会うまでの私の人生は…

実は私の家は創価学会の信仰を持っています。なので、実家ではずっと勤行をやるような生活をしていました。そう、自分は創価学会の3世なんです。

物心がつき、ひらがなが読める年齢になったら勤行を始めます。

自分も母親から、「そろそろ勤行やろうか?」と声をかけられ、姉もやっていたしまぁやるか、という感じで始めました。ひらがなで書いてある小学生用の本があるのですが、ひらがなであっても、何が書いてあるのかは良く分かりません。(言葉が分からないから)

最初、これを母親と一緒にやる時も、ゆっくりと読んでいきましたが、嫌だったのでそのゆっくりのペースよりも、更にゆっくりと読んで嫌がらせをしていました。(>_<) これぞ逆お祈りハラスメント!

しかし、これをずっとやり続けていくと、勤行を言えるようになってきます。

そこで考えてみたのですが、例えばスポーツでいうと、ゲームのルールを知り、基礎体力を作り、練習を重ねていくことで勝敗というものが決まっていくと思うのです。

お祈りも何かそういう基礎があって、ルールはもちろん知っていて、それによって何か得られるものがあるのではないか?と、ふと思ったんです。

なぜそう思ったのかというと、創価学会のお祈りというのは、定型文で言うことが既にもう決まっているので、そのお経を読むだけなんです。しかも、お祈りのルールというのも決まっています。

★祈りは進化していく★

創価学会ではこのように決まっているから、お祈りがしやすいんです。

でも、私がみ言葉に出会ってから知り始めたキリスト教系のお祈りというのは、すごく自由度が高いから難しい。何を言っていいのかわからない、というのがあったんですね。だから、もう同じにしちゃおう!簡単にしちゃおう!ルールを決めて、定型文でいいんだ!ということにしたんです。

それから私は、み言を訓読したら、お父様の祈祷文と自分が好きだったマザーテレサの祈祷文、これを言ってお祈りしていることにして、その日の祈祷会とか自分の条件とかを終わらせる。そして他のことは何も言わない。とまぁ、こんな風にやっていったんですね。

このスタイルが意外と私の中ではフイットしていて、すごく良かったんです。(*^^*)

それを続けていくと、これまでは普通だったものが、たまにお父様の祈祷文で心にグッとくるものに出会ってくるんですね。そうすると、今度は自分の祈祷を入れ始めるようになったりとか、それから後は祈祷のスタイルを変えてみるとかもしてみました。

おそらく皆さんが祈祷をする時は、お写真の方に頭を向けて、目をつぶって、ちょっと下を向くポーズですよね。いかにも、他の人が見ても“あっ、祈祷してるな”と分かるようなポージングをとりますよね。

私はそれすらもやらない祈祷が始まってきていて、

例えば、自転車を漕ぎながら祈祷したりとか、レンタルビデオ屋さんへ行って、『スパイダーマン』の新作が出たら、「神様これ一緒に見ますか?」と言って、一緒に見るという祈祷をしたりとか…

そうすると、周囲から「Kさんはどのくらい祈祷の時間やってるんですか?」なんて聞かれたら、「ん~2時間くらいかな~」と答えたりして。

段々と自分の中で、祈祷に対するハードルというものが変わってきて、生活の中に祈祷が入ってくるというスタイルができてきました。

★お祈りハラスメントからの脱却★

これまでの自分の考えの中では、祈祷はどちらかというと修行とか、自分の霊性を高めるものという認識でしたが、正に祈祷は生活そのものだよね!という価値観が、このような取り組みの中で出てきたのでした。つまり、このお祈りづくりというものは、誰かの祈祷を受け取って、定型文としていくことで、運動の基礎作りができる。そして、そこから自分のお祈りいうものがしっかりとできるようになる。そういうことなのだと思いました。

では、それによって得られるものが何なのか?とうことは、まだこれから先の話かと思うのですが、

皆さんは祈祷をすることで何が得られると考えていますか?

私の中では、最初は修行かな~、それから神様との対話だったり、願いを叶えることだと思っているのですが、最終的には、

自分と神様との密かな対話であり、コミュニケーションであり、その中から自分の中の神様を知ることができること。それは宗教儀式とかではなくて、生活の中に溶け込んでいるものであり、本当に人生の中の一つのツールであると、そのように今は思っています。

※補足・説明 (創価学会の用語について)

勤行とは?

創価学会の活動において、「勤行」は、日々の生活のリズムの根幹であり、生命変革の具体的な実践です。朝晩、ご本尊に向かい、法華経の二十八の品(=章)のうち、「方便品」(ほうべんほん)と「寿量品の自我偈」(じゅりょうぼんのじがげ)を読み、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることを言います。

方便品と自我偈の意味は?

日蓮大聖人は、「寿量品・方便品を読めば、自然と他の法華経の品は読まなくとも、その意味も備わっている」と仰せになっています。これは、法華経の「方便品第二」と「如来寿量品第十六」の二つの品が、法華経の中でも、もっとも大事な法理が説かれていて、そのほかの法華経の品の意義も備わっているという意味です。中でも自我偈は法華経二十八品の魂であり、仏法の真髄です。したがって、勤行では、「方便品」と寿量品の自我偈」を読誦(どくじゅ)します。

※読誦→声を出して経文を読み、また唱えること。

《あとがき》

お祈りとは、単に宗教的な儀式や形式的なものではなくて、生活の中に常に溶け込んでいるもの。「スパイダーマン」のビデオを一緒に見ましょう?と神様に祈るKさん、素敵だなと思いました。日々の生活の中で起こるすべてのことを神様と共に共有しあうこと。祈りとはまさに神様との親子の対話なのかなと思いました。皆さんはどんな風に感じましたか?



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タンポポ

タンポポコミュニティーリーダー

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性別:女性
家族構成は、母、夫、子供は6人です。性格は「おっとり」「ほんわか」あまり周りに左右されないマイペースなタイプです。

寒い地域のコミュニティーリーダーをしています。
日々の生活の中で感じた、様々な神様との出会いのエピソードを皆様にお届けするお手伝いをします。

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