今回の証は、遥か中米コスタリカ在住の 薬師寺さんからの投稿です。
世界には様々な価値観を持った人が暮らしていますね。
日本を離れ、その地の文化の中で、神様のみ旨を歩む兄弟姉妹の証を通して、私たちもその文化に触れ、心情がグローバルになれたらいいな…と、そんなことを思わせてくださった証です。
私の母は、余命1年と言われて、コスタリカに居るわたしのところにやって来ました。それは、2006年の春のことでした。母を看病してくれて、最後の葬式まで、一切のお世話をしてくれたのがアンナさんでした。
今回はこのアンナさんのお話をしたいと思います。
彼女は普通の女性です。
デサンパラードスという比較的貧しい人たちが住む地域に、小さな古い雨漏りがする家を持っていて、その家では病院で働く自慢の長男と、薬物におぼれていつも彼女を悩ませている次男と、三人で暮らしていました。
彼女は、病人のお世話を手伝うという仕事をしていましたが、それだけの人ではありませんでした。彼女の家の近くに、道に住んでいる老人がいました。時々通りかかった時に話をする程度で、彼女にとっては全く見ず知らずの人でした。
ある日、その老人は具合が悪くなりました。
彼女は躊躇することなく、自分の家に老人を連れて帰り、ひとつの部屋と清潔なベッドを提供しました。医者と薬は彼女の保険で、それが難しいときは、彼女の働いた小遣いの中から支払いました。
いよいよとなった時、彼女は修道院の門を叩きました。
修道女たちはアンナさんのそれまでの貴い奉仕に感謝して、老人の最後のお世話を引き受けました。
コスタリカはキリスト教の国です。時々このような人がいるのです。 私だったらアンナさんみたいにできるだろうか… 自問してみました。 どんな人かも分からない、どんな病気を持っているかも分からない、そのような人を自分の家に入れて、 お風呂に入れたり食べさせたり、そんなお世話が、実際私にはできるのだろうか…。
これが第二次世界大戦当時、再臨主のために神様が、2000年かけて準備してこられたキリスト教の基盤です。為に生きる精神を、捨て身で実体化できる人々のいる基盤だったと考えると…、
あまりにも及ばない、小さな自分が恥ずかしくて、頭を上げられないのです。
それでもお父様は、蕩減の統一教会時代を勝利的に終結させて、1996年、家庭連合を出帆されました。
人類未踏の輝かしい父子協助時代の出発でした。
その後、顯進様の世界巡回によって、神様は怒濤のごとく進軍されました。
そのまま進んでいたならば、今頃は、One family under God は地上に実現していたかもしれません。
しかし、現実は…。
私は今回の21日原理講論訓読の精誠路程で、私たち祝福家庭が原理を正しく理解できていなかったことが、今のようなな現状をまねいたのだということを、つくづく身に沁みて感じました。
人間の5%の責任分担の重要性が、今回ほどひしひしと感じられた時はありませんでした。
神様の願いを知り、真理を知り、原理を正しく理解して、自らの5%の責任分担を果たしていかなければならないと思いました。神様の願いを壊してしまいたいのが、サタンの目的です。み言葉を装い、原理的であるかのような言い回しにごまかされることなく、正しい原理と価値観を持って、はっきりと「それは原理とは違う。間違いである。」と言えるようになりたいと思いました。
神様の願いと摂理にアラインする個性完成。四大心情圏を作り、真の愛の人格者として、錬磨する家庭完成。神様と一つとなった真の愛の万物主管。この三大祝福は神様の祝福ですが、私たちの5%の責任が果たされなければ完成はできません。それには、たゆまぬ努力と成長が必要なのです。そしてそれはまた同時に、神様からの偉大な贈り物であり、共同創造主としての資格なのです。
神様はただ一人の神様であり、みんなの神様であり、すべての人間と親子として一つになりたいと…。
そう思っておられる神様であり、私たちがアンナさんのような、屈託のない兄弟姉妹となって暮らす地球星を願う神様であり…、そのような願いに応えることができる自分になると、密かに約束する、そんな21日間の精誠訓読の期間でもありました。
《あとがき》
アンナさんを通して感じた自らを顧みずに、ひたすら他のために奉仕する愛の世界。
神様が準備してこられたキリスト教の基盤。
そして今の私たちのあるべき姿とは?
いろいろと考えさせられる内容が多くありましたね。
海外での歩み、ご苦労も多いと思いますが、沢山の神様との出会いもきっとあるのではないでしょうか?
世界中で神様のみ旨を歩む、兄弟姉妹からの証がもっと届くと嬉しいなと思いました。
最後に聖句を紹介します。
「各自は惜しむ心からでなく
また、しいられてでもなく、
自ら心で決めたとおりにすべきである。
神は喜んで施す人を愛して下さるのである。」
コリント人への第二の手紙 9:7 JA1955
《後日談》
前回の「海の可能性を求めて」にコメントが届きました。
四国の瀬戸内海を見ながら育った方からで、懐かしい故郷やそこで過ごした日々を思い出され、「思う存分頑張ってくださいね」とエールを送って下さいました。早速、証投稿者の方に連絡し、しばし故郷トークが続きました。